あじやいわし、きびなごなど五島の魚を使ったすり身や揚げ物、かまぼこを製造販売する浜口水産。名物の「五島ばらもん揚げ」をはじめとした商品は、つなぎの片栗粉などを使わない「無でんぷん製法」で、魚のジューシーな口当たりとプリッとした食感の良さが特徴です。
専務取締役の濱口貴幸さんによると、はじまりは曽祖母が始めた「ばらもん揚げ」のような、すり身の天ぷらだったといいます。代々漁師の家系で、浜口さんの曽祖父がとってきた魚が売れ残ったときなどに、曽祖母がすり身を天ぷらにして販売し始めたのだそう。
「それが評判になり家内制でやっていたのですが、父の代になってこれは商売になるということで今の形になりました。40年前には、広島で物産展があるということで天ぷらを氷と一緒にトラックに積んで、初めて島外で販売をしたと聞いています。まだ宅急便なんかもない時代ですからね。そこで1枚5円で販売したらまったく売れなかった。物産展に出展していた別の業者が見かねて全部買い取ってくれて、『安すぎて売れないんだよ』と助言をしてくれたとか。それ以降1枚20円で販売したら、飛ぶように売れたそうです」
その後、島外や県外での認知も広がり、大阪の梅田阪急などで長く販売していたといいます。現在は、五島以外では世田谷区の豪徳寺に路面店をもち、自社製品に加えて干物や五島うどんといった五島の魅力を伝える食材を販売しています。濱口家の船である「濱栄丸」の大漁旗をモチーフにした包装紙も人気で、こちらを目当てに贈り物を選ぶお客様もいるくらいだとか。
3人兄弟の末っ子である濱口さんですが、高校卒業後は福岡で仕事をしていたといいます。もともと家業を継ぐつもりはなく、22歳で島に戻ったものの、福岡での生活をもう少し続けていたかったそう。
「今は兄弟3人で経営をしていますが、当時は長男が継いでいて、父からは早く帰ってこいと言われ続けていました。もう少し都会にいたかったので、当時勤めていた会社の社長に相談したら『何かあったときは帰るからと言っておけ』と。そのまま両親に伝えたんですが、『何かあってからでは遅い』と返されて、それもそうだなと思って帰ることにしたんです(笑)。当時の工場はとても古い体質で、工場の中でたばこを吸っているような環境でした。それを一から改善していき、商品点数も少しずつ増やしていきました」
東京に出店したのも濱口さんのアイディア。デパートからの誘いもありましたが、最初の投資が大きく営業時間も長いことから、自分たちのペースでできる路面店をと考えたといいます。
「豪徳寺という場所を選んだのは、都会すぎず和やかな雰囲気のある町だったからです。色々な場所を見たのですがほかのところはあまりに都会すぎて、自分のところの商品を売ったり自分が店に立っているイメージを持つことができませんでした。豪徳寺は駅前なのに信号もないし、路面電車(世田谷線)も走っている。商店街でもあるし、ここなら現実感があるなと思えました」
工場や店舗の経営で忙しいかたわら、トライアスロンを趣味としている濱口さん。五島で開催されている「五島長崎国際トライアスロン大会(通称:バラモンキング)」にも毎年出場しています。それもいくつかコースがある中もっとも過酷なアイアンマンディスタンス(スイム3.8km/バイク180.2km/ラン42.195km)で参加しているというから、強靭な体力に驚きです。
「仕事で抱えるいろいろなストレスに、強い運動のストレスをぶつけて粉砕しているようなイメージですね。30歳でマラソンを始めたのですが当時は、大会に出てまで走る人の気が知れないと思っていたくらい。それがハーフマラソンに出て感じたことのない達成感を味わってから、考え方がコロっと変わってしまいました。フルマラソン、トライアスロンも始めて、バラモンキングには8年出場しています。うちの本社工場がスイム会場なので、参加者にばらもん揚げを振舞ったりしているんですよ」
インタビュー中「五島の魅力が実はよくわからない」と言っていた濱口さん。仕事で東京に行ったら楽しいし、五島の良さをあらためて考えることもないと語りますが、実際は1週間五島を離れると帰りたくなるのだとか。それは、五島をベースに定期的に東京に出かけるというペースがいい塩梅という証拠なのかもしれません。五島と東京、仕事とトライアスロン。自ら負荷を課しながらもいいバランスを見つけて楽しんでいる姿は、まるで五島の海のようにクリアに輝いていました。